こんにちは。本寿院住職の三休です。「戒名は自分でつけてもいいでしょうか」というご質問をいただきます。ご自身で考えた戒名を持ってきて、この名前でどうでしょうかと相談される方もいらっしゃいます。
私は、自分で戒名を考えることを勧めています。ただし、文字を組み合わせて名前を作ることと、仏弟子として戒名を授かることは、同じではありません。今回は、その違いと、名前に込める祈りについてお話しします。
自分で戒名を考えたい、その気持ち
戒名を自分で考えたいという方の中には、費用への疑問や、故人をよく知らない僧侶に名前を考えてもらうことへの戸惑いを持つ方もおられます。身近な家族である自分のほうが、その人のことをよく知っている。自分で考えたほうがふさわしいのではないか。そう感じるお気持ちも、分からないわけではありません。
動画では、そのような思いを一例としてお話ししました。けれども、そこで一度、戒名とは何なのかを考えていただきたいのです。文字を並べるだけのものなのか。それとも、そこに別の意味があるのかということです。
自分で考えることと、戒名を授かること
ご自身で戒名を考え、私に見せてくださることはよいと思っています。拝見して、修正が必要なところがある場合には、そのこともお話しします。
一方で、動画では、自分でつけた戒名は意味がないという強い表現もしています。これは、自分で考えることそのものを否定した言葉として受け取らないでいただきたいのです。私は自分で考えることを勧めながら、文字を並べただけで、仏弟子として戒名を授かったことになるのか、という点をお話ししています。
名前を考えることと、仏様の教えにつながる名前として授かること。その両方を、切り離さずに考えていただければと思います。
AIが名前を出しても、そこで終わりではありません
今は、AIに戒名を考えてもらうこともできます。しかし、文字を組み合わせて候補を出すことができるからといって、それだけで戒名の意味がすべて満たされるわけではないと、私は考えています。
動画では、わが子の名前をつける場面にたとえてお話ししました。AIが名前の候補を出してくれたら、参考にはするでしょう。それでも、AIが決めたから、そのまま決定するというだけではないと思うのです。
その音や漢字がどんな意味を持つのかを考え、子どもの幸せを祈る。そのような思いが、名前には込められます。戒名についても、候補の文字を出すことだけに目を向けず、そこに込める祈りや意味を大切にしていただきたいと思います。
戒名は、これからの生き方につながる名前
戒名を、亡くなってから付ける名前と考えると、なぜ必要なのかと感じる方もあるでしょう。しかし私は、戒名は本来、生きているうちに仏弟子として授かる名前だとお話ししています。
お釈迦様から連綿と続く教えにつながる一員として、新しい名前をいただく。経典からいただいた名前の意味に心を向け、自分がどのように生きていくのかを考える。そのように受け止めたとき、ご自身の生き方にも変化が生まれるのではないでしょうか。
私にとって戒名は、死後のためだけの名前ではありません。仏様の教えに触れ、これからの人生を見つめる名前でもあるのです。
戒名の意味を知りながら、考えてみてください
自分で考えることをきっかけに、戒名とは何か、どんな思いを込めたいのかに心を向けていただければと思います。生前に戒名を授かることについては、本寿院の生前戒名のご案内もご覧ください。
また、文字数や院号の違いが気になる方には、戒名のランクと「比べる心」についての法話でも、私の考えをお話ししています。
動画でご覧になる方へ
今回のお話は、こちらの動画でご覧いただけます。
本記事は、本寿院住職・三休の動画「戒名は自分でつけてもいいですか?」をもとに、内容を整理して再構成しています。

