こんにちは。本寿院住職の三休です。戒名のランクによって何が変わるのか、長い戒名のほうがよいのか、亡くなった母があの世で肩身の狭い思いをするのではないか。そのように心配される方がいらっしゃいます。
私は、戒名の長さや院号の有無によって、あの世での扱いに差がつくものではないとお伝えしています。今回は、戒名の構成と、私たちがつい他人と比べてしまう心についてお話しします。
長い戒名ほどよい、ということではありません
戒名というと、位牌に書かれた名前全体を思い浮かべ、文字数が多いほど立派だと感じる方もあるでしょう。しかし私は、戒名そのものは中心となる二文字だとお話ししています。
その二文字に道号や院号が添えられ、居士・大姉、信士・信女などの呼び方も付いています。全体の文字数だけを見て、戒名の良し悪しを決めるものではありません。
院号は、お寺や仏教への貢献に目を向けて
動画では、院号の由来について、お寺を建立し、その寺院の名前を用いた例を挙げてお話ししました。お寺を建てることは、多くの人がお参りできる場所をつくることでもあります。
それほど仏教を厚く信仰し、お寺を支えてこられた。そのような歩みに目を向けると、院号を、ただ上か下かという物差しだけで見るのとは違う受け止め方ができると思います。
居士・大姉、信士・信女などの呼び方にも、それぞれの意味があります。私は、こうした呼び方の違いを、故人の価値や、あの世での優劣に結びつける必要はないと考えています。
戒名を比べることで、私たちが悩んでしまう
院号があるか、ないか。居士なのか、信士なのか。その違いを比べて、私たち自身が悩んでしまうことがあります。
私たちは、この世で暮らす中で、いろいろなものを比べています。家の大きさや暮らしぶりなど、あの人と自分を比べる心は、なかなかなくならないものです。その心が、戒名についての不安にもつながっているのではないでしょうか。
極楽浄土のお話から、比べる心を見つめる
動画では、阿弥陀経の極楽浄土のお話に触れながら、比べる心を考えるためのたとえをお話ししました。何不自由のない、すばらしい住まいが、一人に一つずつ与えられたとしたら、どうでしょうか。
それでも私たちは、隣の家のほうが大きい、自分の家のほうが日当たりがよい、少し広い、少し狭いと比べてしまうかもしれません。十分に恵まれていても、比べることで苦しみが生まれてしまうのです。
私は、仏教の教えには、そのような比べる心を少しでも減らしていく意味があるとお話ししています。比べなくても、仏様は救ってくださる。戒名の種類によって不安になるときには、そのことに心を向けていただければと思います。
比べることの、よい面も見つめながら
ただ、比べる心を、単純によい、悪いと決めつけることもできません。人と比べたからこそ頑張れた、一生懸命取り組めたという面もあるでしょう。
大切なのは、その心をどのように受け止めていくかだと思います。戒名に院号があるかどうかで、大切な方について心配し続けるのではなく、比べることで生まれるご自身の苦しみにも目を向けていただければと思います。
関連する戒名のお話
院号とお布施については、「戒名のランクが低いと成仏できない?」の記事でも、私の考えをお話ししています。戒名のご案内は、本寿院の戒名のページをご覧ください。
動画でご覧になる方へ
今回の法話は、こちらの動画でご覧いただけます。
本記事は、本寿院住職・三休の動画「戒名のランクによって何が変わるんですか?」をもとに、内容を整理して再構成しています。

