YouTube住職が語る、人生と死の深い話|お葬式で感じたこと
先日、ある葬儀へお伺いした際、喪主の方から「YouTubeの人だ!」と声をかけられました。私の動画を見てくださっている方がいることに、驚きとともに大変嬉しく思いました。
お寺での日々、そしてYouTubeとの出会い
私は、複数の寺を持つ寺院で住職をしております。日々、仏教の教えを伝えるとともに、土仏の教室や戒名の講座など、様々な活動を行っています。
そんな多忙な日々の中で、YouTubeでの活動を始めました。動画を通して、より多くの方に仏教の教えや、人生について考えていただくきっかけになればと思い、日々動画を作成しています。
動画を通して伝えたいこと
動画では、お葬式で感じたことや、仏教の教えについて、私の言葉で話しています。時にはユーモアを交えながら、難しい仏教の概念も分かりやすく解説しています。
多くの方から、「先生の動画を見て、心が安らぎました」「人生について深く考えるきっかけになりました」といった温かいメッセージをいただいています。
別れを通して学ぶこと
お葬式という場では、人生の無常を感じるとともに、故人との別れを経験します。しかし、別れがあるからこそ、出会いの大切さ、そして今を生きる喜びに気づくことができるのではないでしょうか。
あるお坊さんの言葉に、「じじ死ぬ、ばば死ぬ、父死ぬ、母死ぬ、子死、孫死ぬ」という言葉があります。この言葉は、人が必ず経験する生の順番をあらわしており、その順番が入れ替わることで、どれほどの苦しみがあるのかを私たちに教えてくれます。
まとめ
この世に生きる私たちには、いつか必ず来る別れの日がきます。しかし、悲しみにくれるだけでなく、故人との別れを通して、人生の意味を見つめ直し、より豊かな人生を送ることができるはずです。
私の動画が、少しでも多くの方の心の支えになれば幸いです。
動画全文
あ!YouTubeの人だ おはようございます
本寿院の三休でございます 先日お葬式に 伺わせて頂きました
私は色んな所に伺って 土仏の教室であったり 戒名の講座であったり 今は学校の先生は やってないんですけれども でもお寺が8つある もんですから 色んな所に伺わせて 頂いております
ですから私が 葬儀をする事っていうのは 実はあまり無いんですね 寺の者が代わって… 何故なれば どうしても時間がですね もう予定がびっしり ある意味詰まっているんですね
例えばご朱印であれば もうご朱印の方が 何十人という方が見える 予約をされて 半年前からご予約を 頂いているもんですから もう出来るだけその予定を 変更する訳にはいかなくて 朝からもうずっと 何十人という方が見えますので そうするともう その日は、もう1日 ご朱印の1日に なってしまうんですね そうすると通夜、葬儀とあると なかなか私が伺う訳に いかないんですね
でももし私が日程的に その空いた日に 伺えるのであれば 出来る限り私が 伺わせて頂いております 先日伺った時に 喪主さんがですね
あ!YouTubeの人ですね いや本当におられるんですね
いやいや 確かにそうかも知れません こうして私 色んな沢山のYouTubeを 作らせて頂いております ある意味この YouTubeっていうのは 私の言いたい事が 非常に分かりやすく 伝える事が出来るんですね 文字情報で ブログでこう書くとか そういうのではなくて ただやっぱり 動画を編集をしたり アップをしたりっていうのは 割と大変な作業でございまして 寺の者が、みんなが 一生懸命やってきて 下さるんですね ですから私はこうして 一生懸命お話をさせて頂いて それでYouTubeを作らせて 頂いております そうすると、もう 何本作ったでしょうか? 何百本… 1000本近くあるかも しれませんね その多くの方はですね この住職大丈夫かな? こんな勝手な事言ってる ふざけた住職だなって 思いながらも 色んな動画を見て下さってて
それでなるほど、なるほどと ご理解を頂いておられる テレビも同じですね 例えば、さんまさんだとかね ビートたけしさんとか 会った事はないけれども しょっちゅう見てると なんだかこの親近感と 言いますかね そんなのが生まれてくるの かもしれません だからもう遠くから 私を見つけた瞬間に あ!YouTubeの人! すぐ分かりましたって言って そうなんですよね ちょっと恥ずかしい 思いではありますけれども でもそうしてYouTubeを 見て下さって
こうして私が 色んな活動をしていく中で 悲しみ、苦しみ 人との別れっていうのは 一番辛い事でございます 亡くなった方が お父さん、お母さん おじいちゃん、おばあちゃん また我が子が 先に亡くなる事もございます どうする事も出来ないですね この順番はどうする事も 出来ないんです あるお坊さん 物外というお坊さんが 殿様のお姫様が生まれた という祝いの席に 祝いの書を書かれました
じじ死ぬ、ばば死ぬ 父死ぬ、母死ぬ 子死、孫死ぬ
と お書きになられました お殿様は激怒されました 姫が生まれた こんなめでたい時に 何て事を書いてくるんだ こんな反対を書いてくれよ 分かりました
孫死ぬ、子死ぬ 母死ぬ、父死ぬ ばば死ぬ、じじ死ぬ
と もうお分かりだと思うんです 順番に死んでいける事が なんて幸せなんだろうか なんてありがたい事 なんだろうか 死なない人は無いんですね
この順番が一つ違うだけで 苦しみがどれだけあるか という事なんですよね そう思えた時に 私達はこうして今 生かさせて頂いている 一分一秒っていうのは もうとんでもなく 大切な時間なんですね 素晴らしい時間なんですね 無駄にできない時間を 私達は頂戴をしている という事に なる訳でございます お釈迦様も亡くなったと 説く方もあれば わざと お釈迦様はわざと 亡くなったフリをしているんだ
そうする事によって 人間のその限りある人生 また別れの苦しみ そういう事を 見せていて下さっているんだと 説く教えもあります
この葬儀から またこの別れから 私達はただ悲しむだけ ではなくて その意味するもの 悲しければ悲しい分だけ 出会いの素晴らしさ その人との楽しみがあった 喜びがあった 温かい、楽しい、嬉しい 沢山の日々があったんですね
そう思えた時に 本当にありがとうございましたと お別れが出来ると 強く信じております またお寺の方で お待ちしております 四十九日お越し下さるそうで お待ちしておりますので どうぞ、今は ただ故人の冥福を祈り 供養し歩んで参りましょう
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