俗名の位牌に意味はない
おはようございます
本寿院の住職でございます
戒名を授かった方から
お礼のお葉書を頂戴を致しました
いつもお世話になっております
母の時も
今回父の時もすぐに対応して
頂き 有難う御座います
自分の出来る事を
精一杯の気持ちで気持ちを形にして頂き
有難う御座います
はい 有難う御座いました
この度はご愁傷様で御座いました
以前はお母様が亡くなって
そしてその時には全く何か分から無くて
そして今度
お父様がお亡くなりになられた
その時には私共の事を
知っておられますから
すぐにご連絡が有って
ま お葬式っていうのはね急ぐですね
ユックリしている訳には
いか無いんです
もう どんどんどんどん
進んでいきますから日程で
あったり 場所であったりね
火葬場の予約であったり
もうどんどんどんどん 進んでいきます
だからすぐに対応する様に
私共のお寺の電話
24時間いつでも良いですよって
言ってますけれども
昼間は寺の者が
電話出てくれるんですけど
夜中は私が出る様にしています
だから夜中私の携帯の方にですね
お寺が閉まってしまうと
私の携帯の方にソレが鳴るんですね
お寺のホームページには
24時間て書いてありますから
本当に夜中でも
電話掛かって来るんですね
でもそれは仕方が無いですね
今亡くなりましたって
こう電話が有ると
もうすぐに対応しなければ
いけ無いんですね
そしてこうして先ず
お父様のご供養をするにあたってですね
「気持ちを形にする」という事ですね
とても大切な事だと思うんです
位牌が必要か?
あの位牌というもの なんだ
こんな位牌なんて要るかいなって
割と思う方は多いんですね
白木の位牌があって
そして今度塗りの位牌で
ま白木の位牌っていうのは
仮位牌って言いますから
塗りの位牌が出来る迄の間のものです
だから葬儀の時には葬儀社
さんが持って来て下さる
で そこに魂入れをする
え魂入れ 魂入れって見えるんですか?
重さも変わら無いし
どこに魂入ってるんですか?
この辺ですか?何ですか?って
ついついそういう風に
思ってしまいますね
でもそこにキチンと
まぁ私共の
僧侶が心を込めてそこに
魂入れって言ったら可笑しい
「開眼」と言うんですけれど
例えばそうですね
奈良の大仏さんを掃除する時にはね
大仏さんをこう綺麗にする時に
まず「撥遣」って魂を抜いて
そして掃除が終わったら魂を入れる
そしてどうぞココにお戻り下さい
っていうそんな感じですよね
でもそうする事によって
ココに魂が入っているんだと思った時に
位牌は、気持ちを形にするのもの
心の向き方が違うんです
そう思いませんか?ま
私共は儀軌にのっとって
それは師匠から弟子
師匠から弟子へと
そのやり方は全部
教わって来る訳であります
じゃあコレをどうやって証明せぇって
言ったって証明する訳にはいきません
だけどそこに仏様の顔を書いて
そして洒水器(散杖)でもって
そこに目を書いて 鼻を書いて 口を書いて
そして真言を唱えて
そこに祈りを込めるんですよね
ま 宗派によって
やり方違うと思いますけれどもそこにお坊さん
として祈りを込めた時に
何だか本当にそこに魂が宿った形になって
そしてそれを知っている 皆さんは
そこに本当に
お父様が居られる お母様が
居られると思うからこそ
大切にする訳ですね
亡くなった方はあの
俗名の位牌は拝めない
位牌を俗名で彫って来て
あの仏具屋さんで彫って貰って
それをポンと置いて
皆んな拝めって言って拝めますか?
何年もですよ
何十年もですね そう思いませんか?
やはりそこに形が ま心が形に
なって心が整って行くです
これはお茶の作法も
全部同じなんです
何故 何故こうして
何故回すの?どうしてこうするの?
これも同じだと思うんですね
そこにやっと皆んなの心が
一つに向けて
そしてお父さんお母さんに
感謝の心を寄せて行くんですね
自分達の心を
振り向けて行くんですね
それが帰って来るっていうのが
凄く感じるのが法事の事で
あろうと思うんですね お葉書
有難うございました
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