「戒名はいらない」と遺言した母への想い|本寿院 住職 三休の法話
「戒名も葬儀もいらない」と言い残して旅立たれたお母さま。その後、残されたご家族のもとで不思議な出来事が続いた──そんなお便りをいただきました。
本寿院の三休住職が、このお便りに心を込めてお応えします。
「戒名」とは何か? 「成仏」とはどういう意味なのか? そして、供養の本当の意義についてお話しします。
「戒名もいらない」と遺言した理由とは
近年、「葬儀もいらない」「戒名もいらない」「お墓もいらない」という遺言を残す方が増えています。その背景には、費用への不安や、子どもたちへの負担をかけたくないという優しさがあるのでしょう。
しかし、戒名とは本来「仏弟子として仏さまの教えを受け継ぐ証」であり、単なる死後の名前ではありません。戒名を授かることは、仏の弟子となる=仏さまのもとに導かれるという意味を持ちます。
戒名を授かることの本当の意味

仏教における「成仏」とは、「仏になる」ということです。つまり、戒名を授かることによって初めて仏弟子となり、仏さまの世界へ導かれるのです。
「天国」という表現はキリスト教の考え方ですが、仏教では「極楽浄土」といいます。お盆やお正月にご先祖をお迎えする風習も、仏教ならではの教えに基づいています。
戒名料が不安な方へ|本寿院の想い
「戒名料が高いから」「お金がかかるから」という理由で戒名を諦めてしまう方もおられます。しかし、戒名はお金の問題ではなく、供養の心のあらわれです。
本寿院では、経済的にお困りの方にも安心して供養していただけるよう、ご相談のうえ無料で戒名を授ける場合もあります。大切なのは「想いを形にする」ことです。

俗名の位牌では供養にならない?
中には「俗名のままでいい」と位牌を作られる方もおられます。しかし、俗名の位牌には仏弟子としての証がないため、本当の供養とは言えません。
戒名を授かることで、亡き方は仏弟子となり、私たちは安心して手を合わせることができます。その形を整えることが、残された家族の心を穏やかにしてくれるのです。

供養は「亡き人のため」だけではない
供養は、亡くなった方のために行うだけでなく、遺された私たちの心を癒やす行いでもあります。手を合わせることで、悲しみが感謝へと変わっていきます。
お盆やお彼岸、ご命日に家族が集まり、故人を偲びながら「今ここに生かされていること」への感謝を分かち合う──それこそが日本人の心であり、仏教の教えそのものです。
「戒名」は安心と感謝の象徴

戒名は単なる形式ではなく、ご先祖と共に生きる日本人の心のあかしです。戒名を授かり、供養を続けることで、亡き方も遺された方も安心できる関係が築かれます。
「お金の問題で戒名を諦めてしまう」──そんな方は、どうぞ本寿院にご相談ください。あなたの想いを大切に、一つ一つのご供養をお手伝いいたします。
動画全文
亡くなった母は
戒名もいらない
葬儀もいらない
位牌もいらないと
遺言しておりました
おはようございます
本寿院の三休でございます
戒名をお申し込みになられた方から
こんなお便りをいただきました
はじめまして
今回 本寿院様のホームページや
Youtubeの動画を拝見をいたしまして
戒名の申し込みをさせて頂きました
母が他界した時に
遺されたメッセージに
無宗教のため
葬儀不要
戒名不要
位牌不要
法要不要
代々の墓 不要という
本人の意思を尊重して
戒名や位牌は作りませんでした
新盆頃から
いろいろな現象が起こるようになって
きちっと供養をしてあげたい
成仏できていないのでは
あの世で苦しんでいるのではと
思うようになって
仏壇や位牌を俗名で揃えましたが
それでも天国に行けていないのではと
とても心配だし 可哀想でなりません
私の願いは母に成仏してもらい
そのためにきちんとご先祖の供養を
やりたいと思っておりますので
どうかご住職様より
母の戒名をお授け頂き
本当の供養が出来るよう
お力添えを賜りますよう
何卒よろしくお願いをいたします
この度はご愁傷様でございました
まず成仏というのは
これは仏教のことですね
仏になるということです
仏になるということは
仏弟子になるということなんです
仏弟子になるということが
戒名を授かる意味合いになります
決して死後の名前でもないんですね
実はこの様なご相談も沢山承っております
本人は戒名もいらない
でも
本人はなぜ戒名いらないと
遺言をしたのでしょうか
それは戒名料の問題になったり
また
その戒名を授かることによって
何だか子ども達に迷惑をかけると
そのように思っておられるのでは
ないかと思うのです
そして戒名いらない
じゃ無宗教の人は
いったいどこに行くんだろうか
ここには天国って書いてありましたが
実は天国というのは
キリスト教のあの世観ですね
仏教で言うなれば
お浄土と言われる仏様のもとです
そしてキリスト教の方には
お盆という考え方がありません
ですから
お盆をするのは仏教の考え方なんですね
仏教的には亡くなった魂というのは
仏様のところに行って
そして この世に
また帰ってくる
2回帰ってくると言うんですね
お盆とお正月ですね
お盆に来られるから
だから迎え火を焚いて
そして盆踊りを踊って
大文字の送り火で
またあの世に帰っていってね
急いで帰ってきてねと
キュウリの馬を作って
ゆっくり帰っていってねと
ナスの牛を作る
こうして
もう一つは正月ですね
これは先祖の集合霊という考え方で
門松を立てて
そしてこの世に帰ってきてねと
お迎えをするわけですね
そして日本人というものは
亡くなったらおしまいという
考え方ではなくて
亡くなっても私たちと共に生きている
共に歩んでいるという考え方なんですね
だからこそ
私たちは先祖からの
命のバトンを引き継ぎながら
今こうして
次の代に私たちは生かされている
だから感謝という思いが
この仏教の中に入っているわけです
しかしながら
多くの方は
戒名いらないというのは
これは戒名料の問題だと思うんです
戒名料を
お金がかかるんだったら
いらないという考えなら
どうぞ私にご相談ください
戒名料のことよりも
まずその方の供養をしていきましょう
なぜなれば
私は
戒名を授かる=仏弟子になるわけですから
必ずや仏様のもとに導かれると
私は強く思うんですね
キリスト教の方は
仏様のところに行きません
神道の方も仏様のとこには行きません
無宗教の方も仏様のところには
行かないと思います
でも仏弟子となった時に
仏は必ず救ってくださるんだ
そう思えた時に
まず亡くなった方は
極楽の浄土という世界
その仏様のところに導かれて行く
そう思えるからこそ 私達も
亡くなっていけるのではないかと思います
そして遺された方々が
遺された方々が
そして戒名があって 位牌があって
そしてそこに向かって手を合わす訳ですね
どこかにいるだろって言って
こっち向いたり こっち向いて
今日はこっちかな
これでは遺された方々が
今度は迷うことになるんですね
今回のように何か色んな現象が
起こったということではありますけれども
でも現象が起こるから供養する
しないという問題では
私はないと思うんです
そして亡くなった方への
亡くなった方のために供養をする
どうしてもそのように
考えがちではございますけれども
仏様にお任せをし
そしてお任せをした時に
私たちが反対に安心できるのが
供養の心なんですね
だから
そうする形を整えることが
どれだけ皆さんが安心をされるか
前の他の動画でも
お話をしましたけれども
お母さんがね
子どもたちが
いやお父ちゃんの分は
戒名なくてもいいって俗名で位牌を作った
そして
ずっと三回忌を迎えるまで
お母ちゃんは子どもたちに任せよう
でも毎日 仏壇に手を合わしながら
俗名の位牌に手を合わしながら
「お父ちゃん ゴメンね」から
始まるんですね
ちゃんと戒名も授かることもできずに
「お父ちゃん ゴメンね」という
そんな思いから
手を合わされていたそうなんですね
それではいつまで経っても
そこに安心というものはないんですね
私はいつもお話をします
俗名の位牌なんて
何にも役立たないと思います
何のための俗名の位牌ですか?
私はこれは全く意味をなさないものだと
思っているんですね
俗名の位牌を作って
さあ それで形だけ整えても
私はかえって良くないのではないかな
戒名に
戒名料がかかるから
戒名料が高いから
どうぞご相談ください
私はお困りであれば
無料でお授けをしております
こうしてYoutubeでこんなお話をすると
色んなコメントを見ていただくと
批判的なコメントもいっぱいあります
何だそんなことを言って
お前は金儲けをやってんじゃないか
そんな批判的なコメント…
確かにこんなことを言っている住職
言ってるお坊さんというのは
ないとは思うんです
でも私はそうすることによって
本当にもう長い間
ずっと供養がされて
皆が先祖供養という形で
そうして迎えられてこられて
そして家にお位牌があって
そしてそこに手を合わすことによって
家族みんなが優しくなれる
安心をした毎日が送ることができる
そしてお盆とかお彼岸とか
またご命日の時には また皆が集まって
そして手を合わせ
故人を偲ぶとともに
今 生きていることへの感謝の思いが
みんなで共有できることだと
私は強く思うんですね
だからそのような形を捉えると
本当の意味で小さな子どもから
皆がおじいちゃん おばあちゃんと
こうして手を合わせられるのではないかな
それが本当の幸せに繋がってくると
私は本当にそう思う次第でございます
一つ一つご供養して参りましょう
ありがとうございました

