近年、簡素な葬儀が増え、その後の供養について悩む人が増えています。
住職より、火葬のみの簡素な葬儀を選んだ人に向けて、供養についての問題提起と、仏教的な考え方からのアドバイスを行っています。
主な内容
- 簡素な葬儀の増加と悩み: 火葬のみの簡素な葬儀を選ぶ人が増えているが、その後、どのように供養すれば良いのか悩んでいる人が多くあります。今からできる事は何でしょうか?
- 四十九日や一周忌の過ごし方: 四十九日や一周忌など、仏教の行事をどのように過ごすべきか、様々なケースを例に挙げながら説明。
- 先祖供養の意義: 先祖供養の大切さ、そして仏教の教えが、生きている私たちにどのような意味を持つのかを説く。
- 法要の意味: 法要でのお経の意味や、仏教が私たちに教えてくれることについて説明。
住職の考え
- 葬儀は、故人を送るだけでなく、生きている私たちが、どのように生きていくべきかを考える機会。
- 仏教の教えは、私たちに生きる意味や、感謝の心を教えてくれる。
- 法要は、仏教の教えに触れ、心を清める場。
まずは、戒名が一番です。戒名を授かり、位牌を作って、みんなの心が一つにまとまるのです。
心を振り向ける
簡素な葬儀を選んだとしても、故人を想い、感謝の気持ちを持つことは大切です。仏教の教えに触れることで、心の安らぎや生きがいを見つけることができるかもしれません。
葬儀後の悩みを抱える人々に対して、住職が自身の経験や知識に基づいて、温かく寄り添いながらアドバイスをさせていただいております。
この文章が、多くの人々の心の支えとなることを願っています。
動画全文
簡単に葬儀を 済ませてしまったので これから先どうしようかと 悩んでおりました
おはようございます 本寿院の三休でございます
戒名を授かった方から お礼のお葉書を 頂戴を致しました
簡単に葬儀を済ませたため ネット上に分かりやすく 情報を載せて頂いて とても助かりました
また届けて下さった戒名も 故人にぴったりの 文字が入っており 安心と喜びを感じました 私達のように色々と 分からない方達が 沢山いると思いますので これからもそんな方々へ向けて 小さな気がかりや不明な事を ネットを通じて 教えて頂きたいと思います これからも応援をしております ありがとうございました
そうですね 正直、今ですね ご相談にある方は 火葬だけしましたっていう方 多くなりました
だんだんそんな風潮には なってきてるとは思うんですが いや、火葬しちゃって 何にもありません 一番安い一番簡単なコースで 済ませてしまいました これからどうしたら 良いんでしょうか?
一度もお経を あげてもらった事も無いし 白木の位牌も無いし 全く何して良いか分からないんです という方多くなりましたですね
またこんな方もありましたね 四十九日は 亡くなったお父さんは あんまりこのジメジメした しんみりしたのが嫌いで だから葬儀もやるなって 言われてて 四十九日はみんなで 宴会をしようと思いますと仰る
いやいや、宴会されるのも もちろん良いんだけれども でも本当にそれで良いですか?
多くの方ね、四十九日に そうして人が集まって いやこれは親父が 喜んでるんだよ 代わりに我々は こうやって一杯飲んでって その時は楽しかったかも しれません その次にお盆が来るんですね あれ?お盆どうしようかね?
じゃあ、お盆も宴会しようか じゃあお盆も宴会をした 今度、一周忌 あぁ、そろそろ一周忌だよね
その前に彼岸が来る 彼岸ってなんだい? おはぎと牡丹餅かい? おはぎ、みんなで食べて宴会しよう
でもお骨が 残っているんですよね あぁ、もう墓か じゃあ海にで撒いとくかいって 海に撒いちゃった じゃあ一周忌 一周忌どうしようかな…? 一周忌も宴会しようか? でも宴会ばっかりで 本当に良いんだろうか?
私はこの供養という事ですね お父さん、お母さんであれば まぁ良いかなという形に なるかも知れません でもこれが 我が子だったらどうでしょうか? 3歳で亡くなった我が子が あぁ、子供の為に宴会しようって なるでしょうか?
またお子様ではなくて お孫様 もしくはひ孫様が 一周忌 おじいちゃん、おばあちゃんの 一周忌、三回忌、七回忌と これから先、回忌法要の時に なんだか分からないけれども 南無南無南無…アーンして それからご飯を頂いてました 先祖供養という問題 京都の老舗のお店だとか お家がとても栄えたお家 代々続くようなお家を見ますと 必ず先祖供養というのは ちゃんとされておられるんです これは当然の事だと思って しておられるんです
なぜならば 先祖からのご恩を受けて その命のバトンを受け継いで 私達がこうして 生かさせて頂いているんだ という事になるんです だから私達は自分で生きてると 思ってますけれども そうではなくて 先祖 長く続く先祖の恩恵を受けて そのレールの上に 私達がいるんですよ そう思えた時に 命って大切なんだな 私達は生きている 自分の命だと思ってしまいます そうではなくて 先祖から続いている私達の この命のバトンがあるんだな と思った時にありがたいなと
感謝の手を合わす事が 出来ると思うんですよね これが七回忌になっても よし宴会やるぜって お父ちゃんの為に宴会してたら 今度お母ちゃんの時 どうしましょう? おばあちゃん… もう1年中、宴会だらけですね じゃあ宴会をした事によって それが感謝の宴会に なるでしょうか? 私はそうならないと 思うんですよね そうすると、どんどんどんどん お子さん、お孫さんの 代になった時に なんだ命なんて ちっぽけなもんじゃねえかって きっと、なんかそんな風に なってしまうんではないかと 思いますよね
だから私はですね きちっと きちっとという言い方は おかしいかも知れませんね そうして感謝の法要が 私は仏教の根底に あると思います 仏教をする お経を南無南無南無… お坊さんがお経を唱えている なんか訳の分からん お経を唱えて お坊さんはお布施だけ持って お茶飲んで帰ってしまわれた あぁ…もうなんか面倒くさい なんかチンプンカンプンで なんだろう、あれ?って 思う方が多いかもしれません
でも僧侶はその時に 我々はどのように 生きていったら良いか 我々の生き方 お釈迦様の教えは 死んだ人の為ではなくて 生きている人達の為に あるんですよ そうして仏教の教えを 色んな法話であったり 仕草であったり、行動であったり 色んな形で私達に伝えるのが それが仏法 法話なんですよね
法話っていうか 法施っていうんですけれども そうして生き方を伝えるのが 仏教なんですね 仏の教えなんです だから法事ごとというものは そこで仏法を聞く あの難しいお経を 私は出来るだけ 皆さんにお経を配って 一緒に般若心経を お唱えしましょうね
この般若心経っていうのは 苦しみの連続である 私達のこの生き様 生き方なんですね
苦しみは一切皆苦と 言われるような 苦しみの連続が 私達の人生ですよ という事を分かった時に 私達の一日、一日が なんて大切な日なんだろうか なんて素晴らしい一日 なんだろう そう思えた時に 感謝に変わってくる そんな風に思います お葉書ありがとうございました
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