
本寿院の住職でございます
戒名お申込の方からこんなお手紙を頂きました
この度は、お世話になります
私達には、子供がいなく山口の田舎のお墓は親戚の者に任せて、主人は生前「死んだらお終い」と申しておりました
戒名も要らない。墓も要らない。葬儀も要らないと
それを、私達に残し亡くなっていきました。
毎日俗名の位牌を拝みながらお線香をあげているうちに、やはり死後の世界でも名前「戒名」があった方が良いのではと思うようになった次第です。
主人は穏やかな性格で、人と争う事を好まず、人様の悪口を聞いた事がありません。
勤勉でよく、働いてくれました。頭も良く人に教えるのが上手でした。学者になれば良かったのかと、ただ金儲けは、下手くそでよく言う世渡り上手ではなかったように思います。次の世があるのなら、また巡り逢いたい人です。
どうぞ宜しくお願いを致します。
戒名いらない。葬式要らない
「俺は戒名要らない」
「俺は葬儀も要らない」
「俺は海にでも撒いてくれ」
「お墓も要らない」
って言って遺言のように書いて、もしくは伝えて亡くなられる方が
あるんです。
そして遺族の方々は、親父の遺言だって、
故人の遺志によりお葬式はやりませんでした
故人の遺志により、戒名も付けませんでした。
故人の遺志により、お墓もありません
っていう方がございます。最近、とくに増えてきた事だと感じております
お葬式の時は、なんとなく故人の遺志を尊重してという事で仰る方は割とあるんですね
でもその後、いやでも待てよ。
お父さんは、なぜ戒名要らない!って言っていたんだろうか?

故人は、本当に無宗教だったのでしょうか?
全く無宗教だったんでしょうか?
いやいや
先祖のお墓参りも行ってたし、お盆になったらお寺にも行ってた
菩提寺が昔あり、法事だとか、また除夜の鐘そう考えると全く無宗教だったんだろうか?
ここにも奥様が書いておられますね
俗名に位牌に意味はない

俗名の位牌を作ってそして毎日、お線香をあげている。
まず俗名の位牌に何の意味があるんでしょうか?
それに位牌をお線香をそれをあげているっていうのは、どうしてなんでしょうか?
あの世が無いという事であれば、位牌も要らないしお線香はキリスト教の方はお線香はしない
ですよね。あの香りは仏様の喜ばせるものであり、そして仏様が食香(じきこう)っていってこれを食べる訳ですね
だから
お葬式の時に、お線香を ずっと一晩中
お線香 絶やしちゃいけない
っていうのは、死出の旅に行ってる間にお線香の香りを食べて、あの世に行くんだ
という風なそんな言い伝えもある訳ですね
無宗教の方には焼香も必要ない。
うちは無宗教なんだって仰るのであれば
戒名も要らないし、お位牌も要らない
別の動画で見て頂きたいんですが
という事で、動画を作らせて頂いております
ここでは要約をさせて頂きますと
まずあの世ってどんな世界なんでしょうか?を見ていきたいと思います。
あの世の世界ってどんなところ?
あの世の世界、亡くなるとどこに行くんでしょうか?
キリスト教の方は、天国や虹の橋へ
仏教の人は、お浄土・極楽浄土 仏さまの世界に行く訳です。
無宗教の方はどこにも行かない訳です
彷徨っているんだろうか?
いや仏の世界なんだろうか?いやいやそんなものは無いんだろうか?っていう事に
なりますね
でもあの世が無いと、今度はお盆ですね
もうすぐお盆がやってきますが、お盆が出来ません
お盆に帰ってくるのは、仏教だけ
お盆というのは、あの世からこの世に帰ってくる訳ですね
だからあの世から帰ってくるから
このお中元っていうのは、ご先祖にお供えして下さいねっていうのがお中元です
そしてお盆の時に盆踊りを踊りますね。盆踊りっていうのは、ディスコとか踊って楽しむもの
じゃない、亡き霊を喜ばせるそして共に遊ぶ訳ですねだから、こんな顔を隠してお盆をこうやってやる、あれはどっかにその先祖がいるんだっていうのであったり、
阿波踊り 徳島の阿波踊り、先日私も徳島に行って 法事・葬儀行きましたけれども
阿波踊りっていうのはあれも亡き霊を楽しませる為の踊りなんですよね
だから8月のお盆の時にされる訳ですね
そしてお盆が終わって、今度は大文字焼きですね

京都の大文字焼き、あれは花火大会とは違うんですね
綺麗だね!じゃないですね
“大”という字が出たり、船形が出たり、あそこに亡くなった方が帰っていく
だから“送り火”と言いますよね
だから
日本人というのは、亡き人と共にこうして歩んできている
だからこそ
私達は、亡き人がまた帰って来て下さるんだ。だからお盆の時には

お位牌を精霊棚に出す
お位牌を、仏壇から出して、そしてそこに「精霊棚」を作って、お料理を並べて、そしてお盆を迎える訳なんですよね
戒名があり位牌がないと帰って来れない
でも戒名も無いという事は、位牌も無い訳ですね
位牌が無いと出す事も出来ないし、どこに帰ってくるんだろうって事になります
胡瓜の馬を作って、早く帰ってきてね。茄子の牛を作って帰りはゆっくり帰ってねって
やる訳ですよね
でも位牌を俗名の位牌を作っても何の意味も無い。そこには魂入れって言う
俗に言う「魂入れて心を入れず」と言う事もしてなければ、ただの物体なんですよね
例えば位牌の代わり「筆箱」でもおいて、手を合わせられるでしょうか?
同じだと思うんですよね
だからそこにやはり魂が入って霊的なものがあるというのは大切だと思うんです
戒名が無いと困る5つ
お墓が無いという事は、散骨を選択される方もあります。
散骨は、毎年船をチャーターして実施しております。
お骨に魂が宿るのではなく、位牌に宿ると考えます
菩提寺がある場合は、菩提寺様から戒名を授かり、納骨します
菩提寺さんのお墓ってのは借り物なんですよね
自分の所有の物ではないんです。だから、戒名を授からないと納骨が出来なかったりします
遺された方が安心して手を合わせる事が出来ない
ここの奥様もそうですよね。なんだかこれで良いんだろうか?悩みながら手を合わせておられるのです
あの世でどうしてるんだろうか?
なんか不安になってあの世でも、戒名があった方が良いんじゃないだろうか?
私よくお話をするんです
なぜ戒名要らないんですか?
いや、だって戒名代かかるじゃないですか?お金の問題ですか?

戒名代のお布施が出来ないからという理由で戒名要らないんだって言うのであれば
戒名料のない方は、無料で戒名をお授けします。
そして仏弟子として“成仏”って書くようにまさに仏様のお弟子様として仏様の世界に生まれ変わるんだ、そこには ご先祖をはじめ皆そちらの方にいるんだ
そしてお盆の時に帰ってくる
またお正月の時にも帰ってくるんですね
門松を立てて、ご先祖をお迎えする
ここだよって言って門松を立てる訳ですね。もっとも、お盆の先祖とは違って、先祖の集合霊としてお迎えします
そして先祖の霊を迎えて、お雑煮(お供えをしたものをごった煮をして)食べるような
もんなんですよね。
戒名代が払えなくて困っているという方は私は無料で、お授けしております。
もっとも、戒名の布施は、3万円と目安を出させていただいており、分割でも可能です
費用の事より、供養が先です。
まずお父様のご供養しましょうね
誰の為に祈るのか奥様がご主人にどういう祈りをされるか?
お父さん、あの世から私達を見守っていて下さいねと祈る訳ですね
そこに俗名の位牌を作ってお線香これも仏式ですよね
今度お盆も来ますよねそして戒名を授かる事によって
戒名ってのは、名前ではないという事なんです
仏弟子になる。という事なんですねそして残された方が
お父さんは

仏様の世界 極楽の世界 京都の宇治の平等院のような
本当に美しい世界に往生しておられる
仏様の世界から、私達を見守っていて下さる
倶会一処とかもしくは一蓮托生とかいうような言葉がありますが
今度また、私達みんな亡くなる訳ですね
亡くなったら、またあの世で、生まれ変わりましょう
またあの世の世界ではまた一緒になりましょうね
ここにも最後にありました
また巡り逢えますように・・・
だからまた巡り逢いたいのであれば
御仏の世界、仏教でないとあの世で逢えません
やはり仏教徒として仏教の仏様の世界に生まれ変わるんだよ。
そうする事によって輪廻転生しながらそこでまた

添い遂げられる訳ですね
私はそのように思うんです
無宗教のあの世は・・・
無宗教だ
無宗教だから、どこ行ったか?分からないよ
でも私も無宗教だからじゃあみんなで無だね、無
じゃああの世は無いんだって事になります
いやいや、あの世はこんな世界があるんだよ
極楽のお浄土があるんだ西方極楽浄土があるんだね
いやいや密厳浄土があるんだ
いやいや霊山浄土があるんだ
いやいやそれともキリストの天国があるんだ
この考え方の違いによって残された方がそれがある事によって
どれだけ幸せな思いが出来るか?
残された方がそこに祈りを安心をして祈りが出来る訳ですよね
お父ちゃんどこ行ったんだろう?といつまでも
あの世で彷徨っていると思って供養できない
彷徨ってんじゃないだろうか?って言っていつまで経っても
心配で心配であの世でまた逢えるんだろうか?どうなんだろうか?
これで良いんだろうか?
きっとあの世で、彷徨ってんだろうか?ってずっと…
先日の方も、亡くなって
3年間心配しながらも俗名の位牌を拝んでいました
3年間、ずっとなんかこれで良いんだろか?これで良いんだろうか?と思ってた
っていう方があったんですね
でもちゃんと戒名授かって位牌が出来てそしてそこに手を合わした時にお子さん、お孫さんが
きちんとこうして
位牌に手を合わせる子供手を合わせて、そこに祈りを 皆が一つに集中をしてその祈りは最終的には
感謝の祈りになる訳ですね
だから安心して・・・そして今度は 「ありがとう」という感謝の想いを込められるのが
私はこの法事事であり、日々の生活の中で
祈りの場所 これがお位牌であったり仏壇であったりそういうもので
勝手に心が整っていく1年経ってお盆があってお彼岸があって一周忌がある
それはやらなければ、いけない事ではなくて
やる事によってみんなが安心をしそして
こうしてお陰様で生かさせて頂いてますとなってくるのではないかなと思います
ありがとうございました