広徳寺で授戒会厳修
令和3年4月24日 埼玉県本庄市「広徳寺」にやってきました。
コロナ禍の影響で伺うことが出来ませんでしたが、授戒の依頼もあることから、久しぶりの訪問です。
山門に入ると、美しい藤棚が迎えてくださいました。
藤棚の先には、お地蔵様がにっこり微笑んでいてくださいます。
お寺に入って、美しい藤棚とお地蔵様の笑顔にほっとする瞬間でした。
人形供養
午前中は、人形供養があり、たくさんの人形が並んでいました。
広徳寺では、毎月第4土曜日11時より人形供養を公開で厳修しております。
近所の方々が、人形を持ち寄られます。
お雛さんがおわって、最後のお飾りの後、お持ちになりますので4月が一番多くなります。
同時に、遺品供養や仏壇供養も行っております。お亡くなりになった、遺影・遺品・手帳など思い出の品。
仏壇供養・仏壇じまい
仏壇供養として、本尊・白木位牌・本位牌・過去帳といった長年使われてきたお仏壇の供養も最近は増えております。
仏壇じまいといわれるようになったのは、いつからでしょうか?
お墓じまいというのは、一般的になりましたが、仏壇じまいというのは最近です。
もっとも、昔から実家にてお祀りしていた仏壇を引っ越しのために、新しい仏壇を求めるため、古い仏壇を処分するという事はたくさんございました。また、引っ越しと共に、都会の住宅は、仏間がなく、大きな仏壇を置けないことから、小さな仏壇に変更するケースもございました。
私も子供のころ様々な仏壇供養をお寺の庭で野焼きしていたことを思い出します。
現在では野焼きは法律的にも出来ませんので、事前に消防署に届け出をして、万全の準備の上、日光のお寺「霊符山 尊星王院」でお焚き上げをしております
白木位牌・お位牌の処分
最近、多くなったと感じるのは、戒名の書かれた本位牌の処分です。
白木位牌は、四十九日迄ですので、四十九日法要を過ぎればお焚き上げするのが通常ですが、古いお位牌を処分したいと希望される方が多くなりました。
通常、本位牌は、三十三回忌程迄ご自宅に安置、供養されます。ですから、33年過ぎた後にお焚き上げするケースはありましたが、まだ新しい数年の位牌もお焚き上げされます。
ちょっと寂しい気持ちにもなりますが、時代の流れでしょうか?
核家族化される中で、親戚のおじさんや見たこともない方の位牌を、仏壇の中にお祀りされていたのものが、お仏壇の処分と共に戒名の書かれた位牌や本尊も処分します。
心の中で、戒名を読み上げつつ、感謝のお焚き上げ法要です。
もっとも、ゴミとして何もせず処分をされることを考えると、供養の心をもって発遣(魂抜き)法要をすることは、とても良いことであると存じます。
今日も、参拝の方と「感謝の人形供養」を厳修させていただきました。
つちぼとけ
広徳寺の住職は、尼僧の道廣さんです。道廣さんは、NHKカルチャーにて仏教を指導されています。
その生徒さんたちが作られた「つちぼとけ」です。
つちぼとけとは、土をひねって仏様を作ったものです。
お造りになる方は、お地蔵さんが好きな方だけではなく、ご両親を亡くされた方やお子様を亡くされた方
水子供養を願ってなど様々です。
お地蔵様の背中には、お亡くなりになった方の「戒名」が刻まれ、手元供養される方もあります。
まさに「祈りの仏様」です。
江戸時代の仏師 円空さんは、生涯で12万体の仏様をつくり、供養や祈願のために庶民の祈りを込めた仏様を渡していたそうです。円空さんは得度されたのも私の生まれ育ったお寺であることから縁を感じます。
得度とは、戒律を授かり、仏弟子となることです。さて、本題の授戒会にはいります。
授戒会
生前戒名を授かる
今日の授戒会には、5名の方の授戒を行いました。
家族全員の生前戒名をお授かりになり、おひとりの方が代表して授戒されました。
授戒会の前には、説戒(せっかい)があります。
この説戒は、とても重要で、緊張する瞬間です。
この時に最後の決意を問います。やめるなら、これが最後です(実際、やめたといって帰る方はありませんが、ここで仏弟子としての決意を問います。)
仏弟子になるとは、戒律を授かることです
戒律を授かるとは、5つの約束事を守りますと、仏様の前で宣言することです。
1,殺すなかれ(不殺生)
2,盗むなかれ(不偸盗)
3,うそをつくなかれ(不妄語)
4,みだらな異性関係(不邪淫)
5,お酒を飲むな(不飲酒)
この五戒を誓うのです。
なぜ?と思われる方もあると思います。
仏教が発生したときは、戒律もありませんでした。
しかし、信者が増えると、一定の決まりをする必要が出てきます。
集団生活するわけですから、当然の事といえます。
そこで、仏弟子としてなるために、最低限の約束事が決まっていったのです。
もっとも、日本の仏教は大乗仏教といって非常にやさしいのですが、タイなどの小乗仏教では、250戒 女性なら348戒もありますので大変です。
私のお寺にタイのお坊さんが研修に2年間来ておりましたが、食事や生活が戒律に沿って行われており、大変だろうなと感じたことがたくさんありました。
日本には、538年に仏教が伝わっているとされますが、戒律を授かる方がいなかった。
戒律は、師匠から弟子へ授け、仏弟子とすることから、中国から招請し、やっと来て下さったのが鑑真さんですね。
鑑真さんは、戒律(戒名)を授けるために命を懸けて来日してくださり、東大寺の戒壇堂ではじめて戒律を授かったのが、聖武天皇だとされています。さずかった戒名は「勝満」
このような、大切な戒律ですが、戒律は道徳とか規則ではありません。
たとえば、殺生戒というのは、人の命だけでなく、牛や魚・花といったものまですべてに命があります。
その命をいただかないと私たちは生きていくことが出来ないのです。
ですから、殺しては罪になりますよというものではなく、ひとつひとつの命を大切にして歩んでいきますよという自分にかけた誓いであります。
最後の不飲酒というのも、おなじで、酒を飲むことが悪いのではなく、酒を飲むことで、うそをついたり喧嘩をしたり、心が揺れ動いてしまうことが悪いのですね。
飲むなというと、私が一番困るかもしれません。(陳謝)
儀式の最中に「剃髪ていはつ」があります。私は、10歳の時に授戒しており、丸坊主となりました。
私の長男が、授戒した時を思い出します。あれから10年今年で二十歳になります
(得度式のブログ)
戒名授与
最後に、授戒を行い、戒名授与となります
戒名授与の時には、お授けした戒名を、受者に見せつけます。
見せつけるという表現は、戒名を受者に見せて、約1分ほど静止します。
受者は、一瞬どうすればいいか?頭を下げればいいのか?戒名を見つめればいいのか?
戒名証を受け取れば良いのか?戸惑われます。
しかし、この時に授者は、仏弟子となれたことを心より歓喜する瞬間なのです。
その後、にっこりと「おめでとうございます」
そうです、戒名とは死んでからの名前ではなく、今生きていくためのものです。
仏弟子となり、戒名を授かり、新しい名前で、仏教徒として歩んでいく。
素晴らしいことですね。
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