荻窪 戒名講座
令和2年6月30日 荻窪駅 読売文化センター 戒名の講演に伺いました。
前回3月に予定しておりましたが、コロナの問題で延期されました
さて、コロナ禍での戒名講座です。
マスク着用での講演は、自分自身が疲れると共に、口元が見えない分、皆さんに伝わるのか?
とても心配した講座でした
質問1:戒名はいるのでしょうか?
本日最初の質問は、これでした。
Q:私は、次男坊で新しくお墓もお寺もこれから検討しないといけません。
その上で、行きついた疑問が「戒名っているのでしょうか?」
[char no=”2″ char=”三浦尊明”]戒名は必ず必要です。[/char]
戒名は、必要ですと常に訴え続けています。
なぜなら、自分が亡くなったらどこに行かれますか?
1:天国 ⇒ それはキリスト教のあの世です
仏教であれば、浄土ですね。
2:あの世はあるのか? ⇒ あの世はあるのか?ないのか?わかりません。
どれだけ科学が進んでも解明できないでしょう。
では、あの世があった方が良いか?なくても良いか?
親の死や自分の死であれば、なくてもいいかもしれません。しかし、わが子の死ならどうでしょう?
どこに行ったか?どこでもいいや。とか、「無」になるというのでも良いでしょうか?
あの世なんてない!!見えないものは信用しない!
あの世なんて、人間が作った架空の世界だ。そんなものには惑わされない。と頑なに否定される方も多くあります
しかし、お盆やお彼岸 お中元やお歳暮 門松などなど、私たちは目に見えない存在を大切にしてきているのです。
天皇陛下の即位であっても「神」が存在し、ご報告されるのです。だれも、まやかしをしているなど考えていないのです。
お宮参りや七五三・町のお祭りも同じですね。お祭りや神社に行ったことがないという方はありませんね。
見えないから信用しないという考えは、捨てた方が良いのです。
死別に際して、どうか仏さまに、導かれて、安らかに成仏してほしい。
その為に仏弟子として戒名を授け、祈るのです。
我が子の成仏を祈らない親などありませんね。
3:戒名はいらない。だってお金が高いから。
文字を並べただけで50万とか100万円かかるのであれば、要らないという意見も多くあります。
[char no=”2″ char=”三浦尊明”]私が無料でお授けします。如何でしょうか?[/char]
お布施は、何かの対価のように考える方がありますが、そうではありませんね。
そして、その浄財はご住職のこづかいではないのです。
お寺を管理護持するために必要なお金ですね。
お寺は儲ければいいのです
「儲ける」という字は信者と書きます。
人が集まれば、勝手にもうかります。儲かることが悪いのではなく、その浄財がお寺のために使われ、みんなが安心してお参りできるように使われているのです。
菩提寺のある方は、菩提寺を支え、皆さんで協力していく義務があります。
とお話ししたところ
ご住職は、ベンツやBMWにのって豪遊しておられる。
という批判意見も・・・これには何とも返事できませんでした。(苦笑)
普段言いにくいことも、この様な場ではどんどん出てきます。
次の質問が、
三浦尊明住職に戒名をつけてもらっても菩提寺で認めてくれないと無駄になる
まず、菩提寺があるのであれば、その住職にご相談なさってください。
檀家としての務めであり、勝手なことは出来ません。
三浦尊明住職につけてもらっても、葬儀や納骨の時に使ってもらえないでしょう?との声が。
しかし、ちょっと待ってください。
戒名は、死んでから葬儀や法事の時の為に必要でしょうか?
[char no=”2″ char=”三浦尊明”]戒名は、死んでからではなく、今生きているあなたの為に必要だと考えます。[/char]
女房が一緒の墓に入ってくれない。
[char no=”2″ char=”三浦尊明”]お墓は、住居ではありません[/char]
お墓に眠るといいますが、そこにじっとしているのではありません。
そんな墓の中のジメジメしたところに押し込まれていたのでは、辛いでしょう。
千の風になってという歌がありましたが「私はお墓にいません。鳥になって・・・」
その通りです、お墓ではなく、仏さまの極楽浄土にいるのです。そしてそこから見守っていてくれるのです。
この世では、嫁姑の戦争があったかもしれませんが、お浄土では、仏弟子としてそんな争いごとなどないのです
きわめて楽な世界があり、常に説法を聞き、心安らかな世界にいるのです
お墓は、遺された末代の方が、心を寄せる場所であります。
その事をよくお話しなさってみてください。
そうすると、他の参加者の方から、私の両親も仲が良くなかったのですが、一緒に埋葬しましたという声が。
それでいいと考えます。あの世は、この世と違って仏さまの極楽浄土ですから、幸せいっぱいです。
いかがでしょうか?
今、戒名を考える中で、自分の人生も考えてほしいのです。
たくさんの人がおられる中で、ご両親と巡り合い ご主人と巡り合い 奥様と出会うことが出来ました。
辛いことや悲しいこと 時には厳しくしかって下さったり、時には優しく導いてくださったり。
長い時間の中で、この令和の時代に巡り合うことが出来ました。
有難いことです。ありがとうという言葉も、仏教の言葉です。
1日何回のありがとうが言えるかな?辛いことがあればあるほど強くなれる。悲しいことがあれば、優しくなれる。
あの世から、この世に修行をしに来ているのです。
そして、ありがとう。と人生を終えたいと思いませんか?
まさに、ありがとうの数が幸せの数だと考えております。
最後に、アンケートを寄せてくださったので紹介します。ありがとうございました。
終了後、午後からはつちぼとけ教室です。続けてご参加くださった方もありました。いい地蔵さんが出来ました。
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