【法話】領収書の祈りと請求書の祈り「お骨仏」

【法話】領収書の祈りと請求書の祈り ―― 感謝でつながる供養の心

本寿院の住職、三休です。 毎朝8時30分より、皆様と共に「朝勤行(あさごんぎょう)」を行い、仏様の前で心を整える時間を大切にしております。本日は、先日ある企業の方からいただいたお電話をきっかけに感じた、「お寺と供養の在り方」についてお話しさせていただきます。

「請求書」は出せませんが、「領収書」はお出しできます

先日、ある会社の方から「人形供養をお願いしたいので、請求書を送ってください」というご連絡をいただきました。私は丁寧にお断りし、こうお伝えしました。 「申し訳ありませんが、お寺では請求書をお出しすることはできないのです。その代わり、領収書であれば喜んで発行させていただきます」

なぜ、お寺では請求書が出せないのでしょうか。それは、お寺へのお支払いが「対価(代金)」ではなく「お布施(おふせ)」だからです。

「請求書の祈り」になっていませんか?

かつて、私の恩師であるひろさちや先生は、祈りの形を二つに分けて説かれました。一つは「請求書の祈り」、もう一つは「領収書の祈り」です。

私たちは、ついつい仏様の前でこう祈ってしまいがちです。 「1,000円お供えするので、志望校に合格させてください」 「1万円包むから、病気を治してください」

これは、「これだけ払うから、この願いを叶えてくれ」という、いわば取引です。これが「請求書の祈り」です。しかし、本来の仏教の祈り、そしてお布施の心は、それとは全く逆のものです。

「領収書の祈り」 ―― 感謝を先に捧げる

「合格させてくださって、ありがとうございます」 「たとえ失敗したとしても、今日まで生かしてくださってありがとうございます」

結果がどうあれ、まず今ここにある命に感謝し、その「ありがとう」のしるしとして捧げるのが「領収書の祈り」であり、お布施の本来の姿です。お寺は何かを売買する場所ではなく、皆様が仏様やご先祖様と向き合い、感謝を届ける場所なのです。

七回忌を忘れていても大丈夫 ―― 供養の本質とは

また先日、あるおばあさまが慌ててお参りに来られました。 「住職さん、大変です。今年が父の七回忌だと思って数えてみたら、本当は去年が七回忌でした。一年遅れてしまいました。何か悪いことが起きるでしょうか、霊が彷徨ってしまうでしょうか……」

私は笑ってお答えしました。 「大丈夫ですよ。仏様はそんなことで怒ったり、祟ったりはなさいません」

「七回忌だから、やらなきゃいけない」「忘れたら怖いことが起きる」という思いも、ある種の「請求書(義務)」の心かもしれません。 大切なのは、ふと思い出したその時に「お父さん、ありがとう。私たち、元気にしていますよ」と手を合わせることです。その瞬間に、本当の供養が成り立つのです。

毎朝の勤行で心を整える

私は毎朝、ご本尊やお骨仏(おこつぼつ)様、そして私の亡き両親の遺骨が納められた仏様の前で、お勤めをしています。 時には、自分の心に隙があるとお骨仏様の表情が厳しく見え、充実していると優しく微笑んでくださっているように見えることがあります。仏様の顔は、自分自身の鏡でもあります。

皆様も、お仏壇の前や、あるいはこのYouTube配信を通じて、ほんの数分でも手を合わせてみてください。 「今日も一日、生かしていただきありがとうございます」 そんな「領収書の祈り」から一日を始めることで、心は穏やかに整い、清々しい毎日を送ることができるはずです。

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この記事を書いた人

本寿院住職 三浦 尊明
比叡山高校卒業  大正大学仏教学部卒業 
平成8年 円宗院住職 
平成14年 本寿院住職となり現在に至る。
読売文化センター元講師
NHKカルチャー元講師
NPO法人かけこみ相談センター理事長
NPO法人日本投扇興保存振興会理事長
著書「戒名って高い?安い?」日新報道刊
「戒名を自分で付けてもいいですか?」青娥書房刊
「希望のお墓 お骨仏」青娥書房刊
◆つちぼとけ(陶芸で仏像を造る)を通じた仏教活動を全国各地で開催している。