戒名は、自分で付けられる?
戒名はつけてもいいのでしょうか?というご相談がよくございます。
戒名は文字のごとく、戒律を授かったときにいただく名前が戒名、いわゆる仏弟子になるということなんですね。
ですから、自分でつけるということはできないんです。
私は戒名を自分でつけてもいいですか?という本を出版しております。
これは投げかけであって、付けてもいいですよという本ではないんですね。
戒名を自分で付けたい理由
なぜ戒名を自分でたいのか?、その理由を考えていただきたいと思います。
1:あった事もない住職に付けてもらいたくない
よくよく考えていきますと、逢ったこともない住職に、勝手に戒名を付けられても困るということもあるかもしれません。
会ったこともない住職から付けてもらいたくないのであれば、今のうちにどんな住職なんだろうか?
その住職を尋ねていって、そしてその住職と交流を持たれることをお勧めいたします。
多くのお寺では座禅会だとか?法話会だとか?、また最近ではYouTube、Instagram、またTwitterと、いろいろ発信をされておられるご住職も多くおられます。
そのようなご住職にぜひ交流を持たれて、ああ、このような住職であれば、どうか私の戒名を、仏弟子としてもらいたいと、そうしてつながっていかれることがいいと思います
2:戒名は、自分で付ければ無料
もしくは、戒名料が高いから、戒名を自分で付けたら無料じゃないか。だったら自分で付けるよ。
以前こんな方がいました。俺が一生懸命戒名を考えるんだから、それで付けてくれ。
いや、一生懸命考えるというものでもまたないんですね。
これは仏典からその文字を選んでくるわけで、ただ単に文字を並べただけでは戒名ではありません。
お金がかかるからという問題
このお金がかかる? では なぜお金がかかるんでしょうか?
戒名を考えますと原価というものはかかっていないわけです。 食事をするもしくは服を着る場合、すべてのものには.
原価というものがあります。お米や野菜、糸や縫製代など
しかし、戒名というものには, 原価というものはございません。
なぜ高いんでしょうか?
それはお布施であり、財施といって お寺に寄付をすることによって、皆さんのためになっている
お寺は株式会社であるわけではなく、 儲かったというものではなくて、今度困っている人たちのために それを活動されておられる。
お寺というのは、みんなでそのお寺を支えながら、皆さんで、そういう困った人とか、そういった社会の為になっているわけなんですね。
戒名は、一つの商品ではありませんので、商品として売買するものはありません。
ご自分で出来る社会貢献はどうだろうか?
お寺によっては、戒名を無料でお授けくださるお寺もあります。
社会のために何をしているんだろうか。その功績、またそういったことをどうされているか。
自分でボランティアをするだとか、お寺の掃除をするだとか、お寺の手伝いをするだとか、いろんな形でお寺に「活動のお布施」ができるわけですね。
そういったことをしない。めんどくさい。しかし、良い戒名が欲しいというのは、これはちょっと調子の良い話であって、それであれば、自分で可能な限り、可能な金額をお布施する。
また、相続のことで考えると、亡くなって、相続税として払うことを思えば、お寺のお布施というものは、これは相続税から免除されますので、そういう意味では税金で払うのか、もしくはお布施としてされるのか、という考え方ももちろんございます。
ご住職と交流も持たず、葬儀の時に初めて住職に会って戒名の文字を付けてもらった だけで何十万、何百万と請求されたという方々が「戒名が高い!」とかそういう 戒名の不満を持たれるんですね.
戒名は、を自分で付ける講座を開催しております
そして本当に経済的に困っていて お金がないという方であれば、 私は喜んで無料で戒名をお授けいたします
当院では、3万円という目安を出しておりますが、経済的にお困りの方は、ご相談ください。その代わり、お寺の掃除やお手伝いをお願いする場合もあります。
そう考えると戒名って一体何だろうか?
お金ではなくまた, その戒名を授かることによって、「 その方の生き様」であったり、「生き方」になってくるものだと私は強く思います。
そういったことを踏まえた上で 、ご自分の戒名を自分で考えてみる
それは自分の生き方を考えることであり、ただ単に自分でつけたら戒名料がタダになるだろう!という問題ではなくて、戒名って一体何だろうか?戒名は必要なのか?どうして付けるのか?その意味は?
そういったことをお考えをいただき、戒名本来の意味をわかっていただければと思います。
ありがとうございました。
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