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無宗教でも戒名は必要でしょうか?
ねぇねぇ住職 無宗教なんですけれども無宗教だけれども戒名って必要でしょうか?
無宗教ですかそれならば「戒名要りません」よ
無宗教の方の戒名は、無くて良いと思いますよ
要りませんと言われて、やったやった!で、終わりますでしょうかね?
無宗教の人には、戒名必要無いです
そんな為の戒名では、ないですね
仏教徒には、戒名が必要です
じゃあ僕は宗教なんか何も信じてないし
今の坊主は、悪い坊主ばっかりや私も含めましてね
(いえいえ。スタッフ一同、自慢のご住職です♪)
こんなものの事信じられない
いやいや仏教と坊主と一緒にしなくても
坊主は嫌いでも、俺は寺は好きやっていう方
多いですよね
坊主は嫌いだけど仏様は大好きなんだ
っていう方も
でも戒名っていうのは名前ではないという事ですね
戒名っていうのは、戒律の“戒”なんです
無宗教の人には、戒律必要無いですよ
もう好き勝手生きていけば良いっていう事なんですね
仏教徒になろうと思うと五つの戒律が必要なんですね
これは
「殺すな、盗むな 嘘をつくな 淫らな異性関係するな お酒を飲むな」
っていう五つの戒律なんです
えぇ…俺酒飲むし 俺彼女 いっぱいいるし
俺嘘ばっかり ついてるし っていう方も
あるかもしれません
決まり事とか いわゆる法律とかそういうものでは
なくてですね出来るだけ
「命」を大切にしましょう
命を取るなっていうのは
蚊とかゴキブリとか魚とか虫とかこれも全部「命」なんです
お米にしても「命」があるんです
この命を取るなって 取っちゃいけないとなると
私達は生きていく事が出来ません
でも取るなでは、なくてこの命大切にしましょうねって
あなたの命も私の命も猫の命もお米の命も
全てにおいて命が宿っているんだから大切にしていきましょうね
嘘をつくな、盗むなそういうやっちゃ駄目だよじゃなくて
出来るだけやらないように、出来るだけやらないように
していきましょうね
お酒を飲むって
お酒を飲む事が悪いのではなくてお酒を飲む事によって
心が乱れてしまうでしょうって
だから
そういった事を出来るだけ私なんか失敗ばっかりですよ
お酒ばっかり飲んでますから(言ってしまいました)
要は、戒律を出来るだけ誓うという事ですね
それが私はね仏教徒として歩んでいく第一歩なんです
そして私はこれを守っていきますよ
出来るだけ守っていきます
守るように心掛けていきますよ
そうして心掛けていく事によって
戒律、自戒 自分に戒律を 刻んでいく訳ですね
そして仏教を学んでいく訳です
だからこれが 戒名という事なんです
だからそれが要るのか?要らないのか?
名前が先行してしまいます
戒名っていう名前が問題になってるような
そうじゃないんだ
戒律の問題だと
思って頂くと無宗教の人には
要るのか?要らないのか?
果たしてどうでしょうか
でもその
仏教というものが
今度は習俗と言われているように
我々の日常生活の中に入ってきた時に
無宗教で亡くなったそうですかと
無宗教ですかって
本人はそれで
良いかもしれない
今度残された人
本人の問題で
もうちょっとだけ、お話させて下さい
本人が亡くなったらどこ行きますかね
無宗教の人は、どこに行くんだろうか?
仏教の人は、極楽浄土って言われる
もしくは 密厳浄土だとか 霊山浄土とか
言いますけれど いわゆる仏様が
おられる世界に行くんだと思いますね
だから宇治の平等院とかはもう
極楽浄土がこう形取ってある訳ですよね
キリスト教の方であればイエスキリストのもとに行くわけですね
神の子だから亡くなったらですね
いや亡くなったら何も無いよ
何も無い亡くなったら全部0 パァって
言うのであれば、何もする必要は無いと思います
ご本人に対してですね。いやいやあの世は
あの世はとても良い世界があるんだ
素晴らしい仏様の世界があるんだ
私達はその世界に生まれてこの世にやってきて
この世でしっかり修行して心を磨いて
あの世に帰ってる。
だからこの世は、苦しみがいっぱいあるんだ
あの世は苦しみは、何も無いんだ
という風な考え方も
出来ますね
次に残された人
残された人、お子さんであったり
奥さんであったり、お孫さんであったり
残された人が お父さんの一周忌だ
でも一年経ったけれども何もしなくても良いのか
じゃあみんなでご飯でも食べようか?
それで良いでしょうかね
良いでしょうかね
ってのは
おかしいかもしれない
でも一周忌の時にみんなが集まって
親戚が集まってそしてお父様の為に心を振り向けて
一年間こんな事がありました
ありがとうございました
おかげさまで私達をいつも見守っていて下さって
ありがとうございますと
感謝の心を振り向けるのが法要なんです
お父さんあの世で元気ですか?っていうのが
法要じゃないですね
元気でやってる?じゃないですね
そして一周忌になった時にみんなが本当の意味で
安心して手を合わす事が出来る
っていうのは、私はこれが仏教の良い所だと
思うんです。いかがでしょうか?
これがね 何かお金がかかるじゃないか。と思う方が
あるかもしれませんがそれなら別にお坊さん呼ばなくても良い訳です
でもそこにね
位牌があって戒名があって墓石があって、そしてみんなが本当に
感謝の思いができた時に、その思いが、お子様、お孫様の代へと
続いていくと
私は本当に思います
それが「ありがとう」という手を合わし方になるんではないでしょうか
これが日本の美しさであるし お盆がくる またお正月がくる
これは
先祖の霊が帰ってくるという時なんですよね
そして帰ってくるからお盆をしてそして大文字でどうぞまた
お帰り下さいという
そういった流れであるのかなと思います
ありがとうございました
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