こんにちは。本寿院住職の三休でございます。孤独死された息子さんに戒名を授けてほしい、というご相談をいただきました。その後、お父様からお礼の言葉を頂戴しました。今回は、そのお礼の趣旨を要約してご紹介しながら、子を亡くす悲しみと供養についてお話しします。
我が子を失うことは、本当につらいことです。どのような言葉をおかけしたらよいのか、私にも言葉が見つからないことがあります。その悲しみの中で、ただともに供養していきましょうという思いで、お話ししています。
息子さんへの戒名を願われたお父様からのお礼
お父様からは、ご自身では何もしてあげられなかったというお気持ちとともに、戒名を授けたことへの感謝、これからもよろしくお願いしますというお言葉をいただきました。ここでは、お礼の文章をそのまま引用するのではなく、その趣旨を要約しています。
短いお言葉の中に、息子さんを思うお父様のお気持ちがありました。ご自身では何もできなかったと感じておられた、その思いを受け止めながら、私はご供養をさせていただいております。
言葉が見つからないときも、ともに供養する
私は、これまで多くのお別れに立ち会ってまいりました。しかし、我が子を亡くされた親御さんに、何か一言をお伝えすれば悲しみがなくなるというものではありません。
何をお話ししたらよいのか、何も言葉にできないこともあります。そのようなとき、ただただ供養していきましょうと、私はお伝えしています。すぐに気持ちを変えていただこうということではありません。亡くなられた方を思い、手を合わせることを、ともに大切にしていきたいのです。
悲しみの中にある、我が子への大切な思い
動画では、苦しみの原因を見つめてみましょう、という仏教の受け止め方をお話ししました。子との別れがこれほどつらいのは、それだけ我が子を大切に思ってきたからではないでしょうか。
喜びも悲しみも、ともに歩んできた時間や思い出がある。ほかの誰かに置き換えられない、その子とのご縁がある。私は、別れの悲しみに触れるとき、その大切なつながりにも目を向けたいと思っています。
悲しいというお気持ちをなくそうとするのではなく、その中にある、我が子に出会えたことや、ともに過ごした時間を見つめる。そのようなお話を、動画ではさせていただきました。
すぐに分からなくても、時間をかけて手を合わせる
人は、思い通りにならない別れに出会います。その現実をどう受け止めたらよいのか、すぐには分からないこともあります。動画でも、時間がかかるとお話ししました。
忘れようとして忘れられるものではありません。悲しみを抱えながら、故人を思い、祈る。私は、そのように手を合わせることを大切にしています。悲しみが消える時期を決めるのではなく、ともに供養を続けていきたいと思っております。
我が子を思い、仏様を作るという供養
動画では、我が子のために仏様を作りましょう、というお話もしました。言葉にしきれない思いを、仏様を作ることに託す。その仏様に、心を込めて手を合わせるという供養です。
その思いが我が子に伝わり、喜んでくれるようにと、私は願っています。これは、私が仏教の信仰の中で大切にしている受け止め方です。
息子さんとの思い出を大切にしながら、これからの日々も歩んでいく。動画では、これからの出来事を土産話として心に蓄えていく、という思いもお話ししました。亡くなられた方とのつながりを、日々の祈りの中で大切にしてまいりたいと思います。
時間が経ってからの供養について
十分なお別れができなかった方や、後になって供養について考え始めた方へのお話は、亡くなって2年後から供養を始めた方の記事でもご紹介しています。別のご相談の事例ですが、ご遺族の思いを伺いながら、一つひとつ供養することを大切にしています。
動画でご覧になる方へ
お父様からのお礼と、悲しみの中での供養について、こちらの動画でお話ししています。
本記事は、本寿院住職・三休の動画「孤独死した息子に戒名をつけてやってくれ」をもとに再構成しました。ご相談とお礼の内容は趣旨を要約してご紹介しています。


