授戒会を厳修
令和7年7月6日 神奈川県平塚市にて生前戒名を授かる「授戒会」を厳修いたしました。
ご夫婦で生前戒名を授かったのですが、奥様の体調がすぐれず、息子さんんが代理でうけられました。
お母様のブラウスを宝前においての開式です。
戒名は、元来生前に授かるものでございます。
現在の形は、亡くなってしまって、仏縁がなかったので、急いで仏弟子にして戒名を授けているのが現状ですが、それは、仕方なしに・・・という事です。
本当は、生前のうちに仏様の前で、「戒律」を誓い、仏弟子となった時にはじめて「戒名」を頂けるのです。多くの方は、死後の名前と考えておられますが、全く逆の事でございます。
ましてや、戒名料という死後の名前をお金で買うという考え方もまったく違う事でございます。
生前のうちに仏弟子となる事がどれだけ素晴らしく、どれだけ安心できることでしょう。
だって、死んでからでは、わかりませんものね。
戒名授与
そして、こうして仏様の前で、五戒を誓願し、仏弟子となるのです。
戒名を授けるお寺は多くありますが、積極的に授戒会を行っているお寺はどれほどでしょうか?
ある宗教学者が言っていました。
仏弟子となり、仏教にあつく弟子入りするのであるから、戒名料をもらうよりも「よく仏弟子になってくれた」とお寺から礼をいうべきである。
キリスト教は、洗礼を受ける事によって、信者として登録し、信者としての信仰の道に入ります。しかし、仏教はどうでしょうか?
私達の苦難の多い人生をどのように生きるのか?そして、安心して生きる方法が仏教の教えです。しかし、お坊さんは、亡くなった方にばかり法を説くと揶揄されています。
ちょうど今、このブログを書いているときに、90歳の奥様の49日にお寺へご参拝の91歳ご主人に対して、娘さんより「お父さんも生前のうちに戒名をもらっておけばいいよ」と言ったとたん、ご主人は「ばかもん!まだ死んでおらんと!!」と激怒された声が聞こえてきました。
世間の声はそんなものではないでしょうか?
戒名問題はどこにあるのか?
明るく、元気に戒律を守る事を御宝前で誓い、仏弟子となり、仏教の教えに沿って「感謝していかされる」すばらしいと思いませんか?
まさに信仰の生活と言ってしまえば、何やら悪い風が吹きそうですが、信仰とは当たり前の事。
宗派ではなく、手を合わせる「感謝」の心
朝起きて「ありがとうございます」
仏壇をあけて「ありがとうございます」
昼食を食べて「ありがとうございます」
寝る前に「ありがとうございます」
これだけで良いのです。信仰とか信心とか重く考えるのではなく「感謝して生きる」
一日何回のありがとうがいるでしょうか?このありがとうの数が幸せの数です
まさに、それが仏教であると考えます。
平塚円宗院では、毎月第1日曜日13時から行っております。ご希望の方はお知らせください。
また同時に、午前中は、写経とつちぼとけが行われています。
ありがとうございました。
なを、8月はお休みですが、8月24日11時より日立製作所より奉安された「お助け地蔵盆」がございます。ぜひお立ち寄りください。
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