Youtube動画で見る:中絶した子供は親を恨むのでしょうか
住職が動画でも分かりやすく解説しています 。あわせてご覧ください 。
中絶をしてしまった。あの子は、私のことを恨んでいるのではないだろうか。私は幸せになってはいけないのではないだろうか。
そのように悩み、ひとりで涙を流しておられる方がいらっしゃいます。今日は、水子供養について、そして、亡くなったお子さんを思う親御さんの心についてお話ししたいと思います。

お子さんは、親御さんの幸せを願っているのではないでしょうか
先日、水子供養をされた方から、お礼のお手紙をいただきました。その方は、毎日自分を責めて泣いておられたそうです。しかし、供養のあとに「お子さんは、お父さんお母さんの幸せを願っているんですよ」という言葉を聞き、少しずつ前を向くことができたと書いてくださいました。
「産んであげることができなかった。きっと恨んでいる。だから私は幸せになってはいけない」——そう思いつめてしまう方は、決して少なくありません。
けれども、私は、お子さんは親を恨むどころか、お父さんやお母さんの幸せを願っているのではないかと思うのです。もちろん、悲しみや後悔を簡単に消すことはできません。無理に忘れたり、すぐに元気になったりする必要もありません。ただ、ご自身を責め続けなければならないと思い込まないでいただきたいのです。
水子供養は、お子さんの成仏を願う祈りです
水子供養では、まず、お子さんの成仏を心から祈ります。「成仏」とは、仏になると書きます。お子さんを仏さまに託し、仏さまのお導きを願う。その祈りを、お寺で一緒にさせていただくのです。
もちろん、ご自宅で手を合わせることも大切な祈りです。お寺で読経をしていただいたり、戒名を授かったりして供養する方法もあります。宗派やお寺によって作法は異なりますので、分からないことは遠慮なくお尋ねください。
大切なのは、形をきちんと整えることだけではありません。お子さんを思い、心を込めて祈ることです。

お焼香に込める思い
お焼香は、ただお香を燃やすだけではありません。仏さまに香をお供えし、「どうぞお導きください」と願う。そして、お子さんのためにも祈る。そのような思いを込めていただきたいのです。
作法が分からなくても心配はいりません。お寺では、初めての方にも一つずつお伝えします。どうしたらよいか迷っておられる方は、まず相談にいらしてください。

お子さんの分まで、幸せに歩んでください
お経には、小さな子どもが親や家族、これから生まれてくる兄弟や友だちの幸せを祈る姿が説かれています。私は、今もお子さんは親御さんの幸せを願い、そっと見守っておられるのではないかと思います。
お子さんのために祈る。その祈りは、きっとお子さんに届いている。そして、親御さんがお子さんの分まで幸せに歩んでいくことも、大切な供養につながるのではないでしょうか。
幸せになることは、お子さんを忘れることではありません。お子さんを思う気持ちを胸に抱きながら、ご自身の人生を歩んでよいのです。どうか「私は幸せになってはいけない」と、ご自身を縛らないでください。

供養は、一度で終わるものではありません
水子供養は、一度お参りしたらそれでおしまい、というものではありません。命日やお盆など、折に触れてお子さんを思い、手を合わせることができます。お花やお線香を供えることも、心を寄せる一つの形です。
毎回お寺へ来なければならない、決められた回数だけ供養しなければならない、ということではありません。ご自宅で手を合わせるのでもよいのです。ご自身ができる形で、長くお子さんを思ってあげてください。
水子供養についてよくあるご質問
- 中絶した子どもは、親を恨んでいるのでしょうか?
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お子様に取って一番喜ぶことは何でしょうか?今のあなたに出来る事は何でしょうか?
自分の事を祈っていてくださる親をどうして恨んでいるでしょうか。お子さんは親御さんを恨むのではなく、親御さんの幸せを願っていると考えます。 - 水子供養は、必ずお寺でしなければなりませんか?
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供養の方法は、宗派やお寺によって異なります。お寺で読経をしていただく方法もあれば、ご自宅で手を合わせることもできます。具体的な作法を知りたい方は、希望するお寺に尋ねてみてください。
- 何年たっていても供養できますか?
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何年たったから供養できない、ということではありません。お子さんを思い出したとき、命日やお盆など、いつでも手を合わせてください。供養のことで迷われたら、お寺に相談なさってください。
おわりに
中絶を経験し、後悔や悲しみ、ご自身を責める思いを抱えている方へ。まずは、お子さんの成仏を心から祈ってあげてください。そして、どうかご自身の幸せも願ってください。
お子さんを思い続けることと、親御さんが幸せに生きることは、決して相反するものではありません。お子さんの分まで、感謝を忘れず一日一日を歩んでいく。それもまた、尊い供養の一つだと私は思います。



